こんにちは、星猫です🐈⬛⸒⸒⸒⸒🌟
さて、今日は劣等感についてのお話です。
皆さんは劣等感についてどう考えますか?
読んで字のごとく、劣等感とは、自らを他者と比較し、そして自分の方が劣っていると感じる事です。
誰でも大なり小なり抱えるものでしょう。例えば「自分よりあの人の方がお金持ちだ」とか、「あの人の方がモテるはずだ」とか。
「全部が劣っている」とまで考える事は少なくとも、部分的に見れば他人と比べて「負けている」と感じる事はあるはずです。
それは、比較でしか物を見る事が出来ない人間が生み出した、自己を客観視する為のひとつの基準の様なものなのかもしれません。
とはいえ、「劣等感」と言う言葉には、なんだかネガティブなイメージをお持ちの方が多いでしょう。
では、劣等感は悪なのでしょうか?持つべきものではないのでしょうか?
今日はそんな人生哲学のテーマです。恋愛とは関係が無いように思えますが、この劣等感を理解し、上手く活用出来るようになれば、チャンスを掴み、あなたの魅力をもっと引き出す事が出来るようになるでしょう。
前置きはこれぐらいにして、行ってみましょうか。
○劣等感とは?
前置きでも言いましたが、劣等感は人間にとってごく自然な感覚と言えます。
真っ白なキャンバスに白の絵の具を垂らしても認識出来ない様に、人は比較する事によって初めて対象を認識する事が出来る生き物です。
自分自身を認識する自己覚知においても、それは同じ事だと言えます。
人は、誰かと自分を比べる事によって、初めて「自分」と言う存在を知覚する事が出来るのです。
その尺度のひとつが「劣等感」です。自分が相手より劣っていると感じた時に、人の心に劣等感が生まれます。
その逆…対義語は「優越感」です。これは、自分が人より優れていると感じた時に生まれる感覚です。
○劣等感は必要?
快不快の話をするのであれば、劣等感は不快な感覚です。
逆に優越感は快楽だと言えるでしょう。それは、誰もが感覚的に知っている事だと言えます。
では、不快な感覚である劣等感は人間に必要ないのでしょうか?
そうではありません。結論を言うなれば、劣等感は人間の成長に必要不可欠な感覚だからです。
事実はどうあれ、もしもこの世に自分より優れた人間が一切存在しない、と言う風に認識していればどうなるでしょう?
間違いなく、その人間の成長は止まってしまいます。追い越される事を恐れて現状維持をするかもしれませんが、自分を成長させる必要性も、その楽しみも見出すことが出来ないでしょう。
漫画「刃牙」シリーズでは、主人公である範馬刃牙が、シリーズの途中でそれまで目標だった最強の父、範馬勇次郎に勝利を収めた所で、範馬刃牙が名実共に地上最強の称号を手にします。
その後に描かれる刃牙の描写は、父の背中を追い、あらゆる勝利と研鑽を貪欲に求めたバキの姿とは対照的に、どれも退屈そうに描かれています。
もっとも、これは漫画の話かもしれませんが、現実も似たようなものです。劣等感のない人生など退屈で、頑張るに値しないと言う事かもしれません。
○劣等感があるから、人は成長しようとする。
つまるところ、人が成長するのには劣等感が必要不可欠だと考えられます。
それは、ごく自然な流れとしての成長ではなく、自らのポテンシャルを超えるような成長です。劣等感があるからこそ、人は自らを変えゆき、潜在的な可能性を最大限引き出す事が出来るのでしょう。
しかし、本当にそうなのでしょうか?
誰もが、刃牙の様に強い心と信念を持ち、劣等感をバネに、現状を変えるべく努力する事が出来るのでしょうか?
例えを言うなれば、刃牙がもしも「自分は父より劣っているから、頑張ったところで勝てっこない。」と考えていたならば物語はどうなったでしょう?きっと、刃牙は努力する事なく、平凡な人生を送ったはずです。
そこに、劣等感の持つ落とし穴があります。劣等感は誰もが持つ人間のごく自然な心の働きですが、捉え方を誤ればそれは逆に人の成長を阻害する要因になりかねません。
劣等感そのものが問題では無いのです。要は、その使い方にこそ問題が潜んでいるのです。
○劣等コンプレックスとは?
心理学者であるアドラーは、そうした「劣等感を理由に、努力しても無駄だと結論づける事」を劣等コンプレックスだと定義づけました。
ややこしいので解説しておきましょう。コンプレックスとは、直接「劣等感」と言う意味を持つと度々誤解されますが、心理学上正式に「抑圧されながらも、無意識に存在する情緒的な心の動き」と定義づけられています。
分かりやすく言うなれば、知らず知らずの内に生じてしまう物事に対する認識や、心の動きを包括的に表した概念だと言えます。
そう難しく考える必要はありません。身近な人々で考えるのであれば、すぐに「どうせ俺なんか…」なんて言い出す人をイメージしてみてください。
そうした方は、得てして自分を変える事を恐れるものです。「やった所で無駄だよ。」と決めつけ、ちょっとでもつまづこうものなら「ほらな。やっぱりだ。」と直ぐに諦めてしまうのです。
○現状維持バイアスとの違い
ただ、こうした変化を嫌う性質は、実は生物であれば誰もが持つ性質なのです。
有名な実験では、茹でガエルの実験がよく知られています。
カエルに突然熱湯をかけると、当然カエルは飛び跳ねて逃げ出します。
でも、水につけた状態のカエルの水を少しずつ温めると、カエルは飛び出すタイミングを逃してしまい、結果そのまま茹でガエルになってしまいます。
変化する事はそもそも容易い事ではないのです。
劣等コンプレックスの特徴は、その理由付けに「劣等感」を持ってくる所です。「劣等感」は人を成長させる理由になると同時に、変化しなくても良い理由にもなりうるのです。
○何が違うのか?
「劣等感」そのものは、誰もが持つ普遍的な感情である事を前述しました。
しかし、劣等感によって成長する人と、成長しない人がいる事も説明しました。
一体何が違うと言うのでしょうか?
答えを言いましょう。それは、「自信の有無」に他なりません。
○自信のある人間は、変化を恐れない。
先の茹でガエル実験に話を戻しましょうか。
カエルにとって、「冷たい水に浸かっている」と言う状態は心地よい状態です。
飛び出さない限りは、その心地よい状態が続きます。
しかし、環境は変わるものです。いつまでも、その水が冷たいとは限りません。熱くなってきたら、当然飛び出すべきです。
でも、仮に他に水場が一切無い、もしくは現実に水場があったとしても、「他に水場はないはずだ」とカエルが思い込んでしまっていたのであればどうでしょう?
カエルは、きっと限界までその水場に留まります。運が悪ければ、気付いた時には飛び出す事も出来ない程、茹で上がっている事でしょう。
反対に、他に水場がある場合、もしくは例え近くに無くともカエルが「見当たらないけど、自分なら見つけられるはずだ」と考えていたらどうでしょう?
カエルは不快感を感じた段階で、より良い水場を探しにいち早く飛び出すはずです。
そう考えると、カエルの命運を分けたのは、正常性バイアスではなく、「自信の有無」だったのでは無いでしょうか?
もっとも、飛び出たからと言って、他に水場が見つかる保証はどこにも無いわけですが、少なくとも茹でガエルにならなくて済んだはずです。運が良ければ、より気持ちの良い水場を見つけられたかもしれません。
○自信が無いから、現状を維持する事に執着する。
恋愛も似た様なものです。
脈ナシだと初めから分かっている様な恋や、パートナーに不満があったとしても、自信の無い人はいつまで経ってもその現状を変えることが出来ません。
新しい恋人を探す事も、ましてやパートナーとしっかり向き合って話し合い、状況を改善する事すらも出来ません。
世の中には何億と言う異性がいるのにも関わらずです。「どうせ自分なんかが頑張った所で上手く行く訳がない」と決めつけてしまっているのです。
そういった方は、どれだけ可能性があろうとも、劣等感を理由に現状を変えようとはしません。
○劣等コンプレックス=自信の無さ
つまるところ、劣等コンプレックスが生じると言う事は、自信が無い事と同義なのです。
反対に、自信がある人は変化する事を恐れません。
自分の存在価値を信じ、そして問題を解決する力があると信じる人間は、例え変化を伴うとしても状況を改善する為に動く事が出来ます。
少なくとも、劣等感を糧に、変化に挑戦する事ができます。例え失敗しようとも、それは経験となり、死なない限り当人を成長させる事が出来るでしょう。
そうすれば、いずれ望む幸せを手にする事が出来るかもしれません。絶対にとまでは行かなくとも、その可能性は自信の無い人間より高いはずです。自信があるからこそ、その幸せを手にするべく困難に挑戦する勇気を持つ事が出来るのです。
○劣等コンプレックスを克服する為には?
劣等コンプレックスは自信の無さですから、解決策は単純です。自信を持てば良いのです。
とはいえ、「自信を持て」と言われた所で、そう簡単に持てる訳が無いのもまた事実です。
一朝一夕では不可能でしょう。
劣等コンプレックスを提唱したアドラーは、アドラー心理学を学ぶ事で解決が出来ると言っています。
ですが、同時にアドラー心理学を実践出来るようになるまでは、それまでその人が生きてきた人生の半分の時間が掛かるとも言っています。
○自信の根源
とはいえ、皆様に「アドラー心理学を学べ!」と言い切って終わるのも暴論と言うものでしょう。
自信の材料となるものを一つ教えておきます。
それは「居場所」です。
「居場所」とは、要するに「自分を必要としてくれる存在とその実感」の事です。
繰り返しになりますが、自信は自らの価値や可能性を信じる事です。
ただし、人はその気持ちを自己完結させる事は出来ません。他者との関わりの中で、初めて自分の存在価値を見出す事が出来ます。
時に、「自己肯定感が高い」と表現される、他者からのタイムリーな肯定が無くとも、不思議と自信に満ち溢れた人間はいるものです。
でも、実はこれも親からの無償の愛など、「誰かに必要とされた」と言う過去の体験から想起して自らの価値を繰り返し実感しているに過ぎません。
あなた自身の価値を認めてくれ、そして必要としていると言う実感をくれる存在こそが、あなたの自信を支える根幹となりうるのです。
単純に言うなれば、人から「ありがとう」と言われる事こそが、自信の根源とも言えるでしょう。人を愛し、幸せにしようと働きかける事は、一見自己犠牲の様に思えて、実は自分自身の価値を肯定するのに必要な事なのです。
人助けをすると、なんだか満たされた気分になる事は、体験的に知っている方も多いでしょう。
そう難しい話ではありません。自信が欲しければ、他者を幸せにする努力をし、その実感である感謝を集めてみる事です。
○まとめ
いかがだったでしょうか?
星猫のコラムでは、心理学者のアドラーが度々登場します。
星猫がアドラー心理学に出会ったのは丁度20歳の頃…当時大好きだった彼女に振られ、心を病んでいた際に「どうしてこんなに辛いんだろう?」と臨床心理学を独学で学び始めたのがきっかけでした。
ひたすら大学の図書館に籠り、臨床心理学と名のつく本は片っ端から読み漁ったものです。
臨床心理学の祖と言えば、フロイトやユングが有名です。それらも大変興味惹かれるものでしたが、最終的に星猫が陶酔したのがアドラー心理学です。
アドラー心理学は、「愛と勇気の心理学」「幸福の心理学」「実践型心理学」など、様々な俗称が存在します。それらは、単なる心の理解には終始せず、それをどう克服し、どう幸せに生きるかを目的としているからこそつけられた俗称です。
元々戦争医だったアドラーだからこそなのでしょう。アドラー心理学とは、心の病気を明らかにするだけでなく、治療を本懐とした、ある意味哲学的なテーマなのです。
体調が悪くて、医者に「風邪です」と言われても、治療法を提示されなければ患者は納得しないはずです。患者が知りたいのは、風邪かどうかではなく、その治療法のはずです。
心もおなじものです。星猫が今、占い師として皆様に伝えている事の根幹にアドラー心理学があるのもその為です。アドラーの仮説通り、20歳の時に学び始めましたから、30歳を迎える今年になってやっと人に解説出来るレベルになってきたのかもしれません。
しかし、どれだけ解説したとて、その本質を理解し、自分の人生において実践出来る様になるまでは、皆様も星猫と同じ位の時間がかかる事でしょう。
それでも、占いの門を叩く皆様にとって問題は今、目の前に来ているもののはずですから、星猫の知恵と知識が、問題の解決の一助となればと願うばかりです。少なくとも、占い師とはそうあるべきでしょう。
なにはともあれ、皆様お幸せに…いつでも、ご相談お待ちしております🐈🪄︎︎
○ご挨拶
タロット星の猫では、対面鑑定及び電話鑑定のご予約を常時お受付しております。ご希望の方はHP内ご予約プラットフォームよりご予約、または営業時間内に直接ご来店下さい。
当ブログの記事より、「もっと深く知りたい!」やご自身のケースに応じたアドバイスをお求めになられる方は、是非この機会にご活用ください。
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